2020年3月31日、『志村けんさん死去』の訃報を新聞各紙が伝えました。
前日にインターネットの速報ニュースで知ってはいましたが、新聞紙上の活字となってショックが大きくなりました。しばらくの間、悲しみが止まりませんでした。 「ドリフの宝、日本の宝を奪ったコロナが憎いです」という加藤茶さんのコメントもとても悲しく感じました。
私は、1959年生まれの60歳。
志村けんさんが、「8時だョ!全員集合」に初めて登場した時のことをしっかり覚えています。今から46年も前のことです。当時、私は14歳の中学3年生。受験生ではありましたが毎日6時間はテレビを見ていました。どこへ出してもはずかしくない「超テレビっ子」でした。友達も少ないし、内気の私にとってテレビが唯一の気の置ける親友だったのかもしれません。
もちろん、土曜日夜8時には広島ではRCC中国放送(TBS系列)、「8時だョ!全員集合」にかじりついていました。 初登場の志村けんさんは、番組最後のエンドロールでは「見習い」となっていたのではないかと思います。「あの元気いっぱいの変なお兄さんは、ザ・ドリフターズの見習いなんだ」と思ったことを記憶しています。当時、見習いとして登場している人がもう一人いました。ブルース・リーの真似をして「アチョー」という掛け声で舞台の端から端まで走っている変なお兄さんもいました。この人は「すわ親治」。「すわ親治」も衝撃的でしたが、ドリフターズとしては少し奇抜すぎる感じを中学3年生の超テレビっ子の「ぼく」は感じていました。私は当時、評論家のようにテレビ番組を見ていました。そして、やはりザ・ドリフターズ第6のメンバーは「すわ親治」ではなく「志村けん」となったのでした。 調べてみると、1974年3月31日に、ザ・ドリフターズから荒井注さんが抜けて志村けんさんが正式メンバーになっています。そして、当時のスポーツ新聞などにも報道されています。運命のいたずらか、46年後の3月31日に志村けんさんの死が新聞紙上に出ることになってしまいました。
「ザ・ドリフターズ」のメンバーとして国民的な人気者となり、一人で活動するようになった後でも「バカ殿」や「変なおじさん」など人気キャラクターやギャグを生み出しています。しかし、やはり原点は「8時だョ!全員集合」でのコントの数々ではないでしょうか。「東村山音頭」「ヒゲダンス」などを挙げる方は多いと思います。しかし、・・・・・。
ここからが、私の独自の見解となります。
志村けんさんの真骨頂は、コントの中でも夫婦のコントではないでしょうか。もちろん、志村けんさんが夫役、妻役はその時々の人気トップアイドルやベストテンを飾る女性歌手、日本を代表する清純派女優たちです。覚えているだけでもキャンディ―ズ、ピンクレディー、松田聖子、山口百恵、研ナオコ、由紀さおり、小柳ルミ子、南沙織、石野陽子、西村知美、渡辺美奈代、・・・・・というところでしょうか。 私が、その中でも秀逸と思うのが桜田淳子さんとのコントです。マニアの間では「淳子もの」と言われています。
何もできない、かわいいだけが取り柄という感じの新婚の妻役で桜田淳子さんが登場します。そこに、夫役の志村けんさんが少し怒った感じで登場します。
このパターンで何度も繰り返されます。
最後の落ちは、志村けんさんの上着のポケットの中からノーパン喫茶のマッチ箱を桜田淳子さんが見つけて怒ります。
是非、YouTubeでご覧ください。「志村 コント 淳子もの」と検索すると出てきます。
昔からある古典的な展開のコントです。しかし、古典的な展開だけに桜田淳子さんに高い演技力が要求されます。
のちに演技派女優となる桜田さん。
志村けんさんの遠慮ない、容赦ないツッコミ。志村さんは、桜田さんならうまく受けてボケてくれると信頼しているのがわかる愛情あふれるコント。だからこそ何度見ても爆笑を誘ってくれるのでしょう。
桜田さんの魅力を引き出す愛情あふれる演技力こそ、志村けんさんの真骨頂なのです。
志村けんさんの演技には相手役に対する「愛情」があるのです。
これは、「志村どうぶつ園」での嵐の相葉雅紀さんに対する志村けんさんにも言えることかもしれません。くしくも追悼番組で相葉さんが志村けんさんからの次の言葉を紹介しています。
「相葉くんには、他の嵐のメンバーのようにドラマの代表作はないけど、志村どうぶつ園があるでしょう。ドラマは3カ月で終わるけど、この番組はずっと続くからね。ぼくが頑張ってずっと続けさせるからね」
志村けんさんというコメディアンは、自分が目立つというよりも他の出演者とともに協力して最高のエンタテインメントを作り出すことに全力を尽くしたのではないでしょうか。「共演者」を輝かせて、自分というよりも作品自体を完成させることに力を注いだ「職人」だったのではないかと思います。
私たち日本人は、天才的な才能と日々の努力から作り出される職人芸に魅了され、相手役に対する「愛情」の深さに感動していたのではないでしょうか。
日本人だけではありません。
アジアを中心に海外メディアも志村けんさんの死去を速報で伝えました。その中で、私は台湾の総統の記事に注目しました。一番早かったと思います。それも日本語で伝えています。その人は、蔡英文総統です。自身のツイッターで次のように伝えました。
「志村けんさん、国境を越えて台湾人にたくさんの笑いと元気を届けてくれてありがとうございました」 なぜ、台湾総統が日本語で感謝の言葉をこのように迅速に伝えるのでしょうか? もちろん、志村けんさんがアジアを中心に多くの人から愛されていたということもあるでしょう。
こういうことも言えるのではないでしょうか?
志村けんさんという偉大なコメディアンの死去によって台湾と日本の親密な関係が顕在化したということです。 台湾における対日世論調査(2013年1月実施)によると日本を最も好きな国としている人が国民の43%、日本への親しみを感じる人は65%となっており、親日度の高さがわかります。このような良好な関係は、東日本大震災において台湾側から日本に対して200億円を超える支援が寄せられたことからもうかがえます。人口2300万人の台湾からこれだけ多くの寄付が寄せられたことに驚きました。
新型コロナ感染が起こる前まで、日本人も台湾旅行がブームとなっていたように日本人にとっても最も身近な国のようにも思えます。
今回は詳しくは解説しませんが、これには日本と台湾の歴史的背景があります。もともと台湾は1985年から太平洋戦争が終わる1945年まで日本が統治していました。特に児玉源太郎第4大総督(1898年~1906年)のもとで後藤新平が民政長官に就任し、土地改革、ライフラインの整備、アヘン中毒患者の撲滅、学校教育の普及、製糖業などの産業の育成を行うことで台湾の近代化を推進しました。現代の台湾の基礎を築いたという側面もあるのです。
私は、よく台湾を旅行などで訪れますが、台北にある国立博物館には日本と台湾の関係の歴史に関する展示があります。その展示を見ると日本への感謝を表現していることがわかります。また、日本人が統治時代に建設した建物がたくさん今も活用されています。
現在、世界を新型コロナウィルス感染症が猛威を振るっています。世界各国は、他国との国交を閉ざしてウィルスが入ってくるのを抑えようとしています。新型コロナウィルスは、国と国、人と人を分断しようとしているように感じます。他国や他人に対する「愛情」を感じることができません。しかし、新型コロナウィルス感染症に勝つためには、国と国、人と人が協力して立ち向かわなければいけないと思います。一時は感染拡大への方策として離れることがあっても心を離してはいけないのではないでしょうか?
コミュニケーションをとりながらお互いに「愛情」をもって国と国、人と人が向き合い、そして結びつくことが今ほど問われているときはないのかもしれません。
今回のコラムは、志村けんさんの死去に相対して新聞やニュース、雑誌を調べる中で見つけた台湾の蔡総統からのツイートを読んで感じたことを率直書いてみました。 まだまだウィルスの猛威は収まる気配を見せません。どうか読者の皆さんはお体を大切になさって日々過ごしていただけたらと願っています。
私が大学を卒業してすぐに教師となって教壇に立ってから30年が過ぎ、発達障害や特別支援教育について講演をするようになって、10年以上が経ちました。特別支援教育とは、従来知的な遅れや目が不自由な子供たちなどを対象にしてきた障害児教育に加えて、「知的発達に遅れがないものの、学習や行動、社会生活面で困難を抱えている児童生徒」にもきちんと対応していこうと言う教育です。
これは、従来の障害児教育で論議されていた内容をはるかに超えて、発達障害児はもとより発達障害と診断されなくても認知機能に凹凸のある子供の教育についても対象としており、さらに子供だけでなく我々大人も含めたコミュニケーションや感情のコントロールといった、人間が社会で生きていくうえにおいてもっとも重要であり、基礎的な内容を徹底して論議しているからであるととらえています。
そのためには、児童生徒一人ひとりの教育的ニーズを把握して適切な教育的支援を行う必要があります。ここで、単に教育とせず、教育的支援としているのは、障害のある児童生徒については、教育機関が教育を行う際に、教育機関のみならず、福祉、医療、労働などのさまざまな関係機関との連携・協力が必要だからです。また、私への依頼例からもわかるように、現在、小・中学校さらに高等学校において通常の学級に在籍するLD(学習障害)、ADHD(注意欠陥多動性障害)、知的に遅れのない自閉症(高機能自閉症・アスペルガー障害)などの児童生徒に対する指導及び支援は、喫緊の課題となっており、これら児童生徒への支援の方法や指導原理や全ての幼児・児童生徒への指導は、私達大人を含めて全ての人間が学び、関わり合うための基礎といえるコミュニケーション力を考える上で必須の知識であることを色々な場で訴えています。
今までたくさんの子供たちや親、そして同僚の先生方と貴重な出会いをしてきました。また、指導主事として教育行政の立場からもたくさんの校長先生方と学校経営の話をしたり、一般市民の方からのクレームにも対応したりと、色々な視点で学校や社会を見つめてきたつもりです。ここ数年は毎年200回近くの公演を行い、発達障害や特別支援教育について沢山の方々にお話をしてきました。そして、満を持して2014年3月に広島市立特別支援学校を退任し、2014年4月に竹内発達支援コーポレーションを設立致しました。
今後は、講演、教育相談、発達障害者の就労支援、学校・施設・企業へのコンサルテーション、帰国子女支援、発達障害のセミナーなどを行っていく所存です。
前回、算数障害について紹介しました。多くの親御さんや学校の先生方からご意見やご相談をいただきました。今日は読み書き障害について述べたいと思います。
前回記事:わが子が「算数障害」かもしれない!その時、親は何をすればよいか!! 1.見た目にはわからない読み書き障害 読み書き障害の人の中でも、特に...続きを読む
昨年の夏頃のメールです。今はコロナ禍なので家の中にいることも多くもっともっと、大変なのかもしれません。
4歳男児の母からのメール 「4歳になる息子とのことで悩んでいます。近所の公園に連れていくと滑り台、ブランコ、ジャングルジム、・・・。ありとあらゆる遊具を目...続きを読む
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私は、小中高校などでスクールカウンセラーとして勤務もしています。小中高、どの学校種でも「不登校」の相談を数多く受けています。
「不登校」の子どもの中に親御さんと病院を受診して「起立性調節障害」の診断を受けた方が少なからずいます。漢方薬などを処方されるような治療を受けている例が多くありま...続きを読む