高校の教科書で「心の病気」学習が、40年ぶりに復帰
皆さんは、高校時代の保健体育の授業で覚えていることがありますか?
「おしべとめしべで受精を習った」なんて言う方はいませんよね。
「なーんにも、覚えてないわー」という方は少なからずいるかもしれませんね。
かくいう私も、「体育」の実技の授業はあったけど「保健体育」の授業なんてあったかなと思ってしまう方のタイプです。もっとも私は、長年教師をしていたので「保健体育」の授業があるのは知っています。しかし、自分の高校生時代を振り返っても「保健体育」の授業の記憶はありません。体育の先生が、生徒指導のこわーい、こわーい先生で、授業をさぼって水泳部の部室で騒いでいたら、見つかって説教されたなーなんて記憶はあるのですが・・・・・。
まあ、何はともあれ、高校の授業で「心の病気」を学ぶのはいいことだなと思います。勉強に対するやる気が起こらずに、夜な夜なゲーム漬けでゲーム障害になり不登校になったり、うつ病になったりする若者が多くいることを憂いている方も多いのではないかとも思います。若者の自殺者も増えています。実は10代後半で精神疾患を発病するケースが多いという事実もあるのです。
2022年4月から高校の教科書が変わります。高校生が学ぶ内容は、文部科学省により学習指導要領で示されます。そして、2022年4月から新しい学習指導要領が実施されます。新しく「公共」「歴史総合」という新科目が登場するというニュースを目にした方も多いと思います。保健体育の教育内容に変化があります。「心の病気」に関する学習が約40年ぶりに復活します。そして、教科書に「心の病気」の単元が加わったのです。
この学習指導要領の本文には「精神疾患の予防と回復には、運動、食事、休養及び睡眠の調和のとれた生活を実践するとともに、心身の不調に気付くことが重要であること、また、疾患の早期発見及び社会的な対策が必要であること」と示されています。
実は1980年以降、中学・高校の保健体育の教科書には、精神疾患名を挙げて精神保健に関する記述は一切なくなっていました。
今回の改訂により精神疾患名を挙げてその対処法について教科書に記載されるのはなんと40年ぶりなのです。教科書に記述されるということは日本の学校に通う全ての生徒が精神保健について学ぶということを意味します。日本に住むほとんどの人が学ぶということは大きな意義があると思います。
学ぶ学年は、高校1年生です。高1の生徒は保健体育の授業を通して、4時間程度の精神保健に関する授業を受けることになります。精神保健の知識の位置付け、それは文部科学省の検定を経た教科書ですから「日本国民にとって生涯の健康維持に欠かせない知識」と位置付けられることになります。教科書に掲載されるというのはそういう意味があるのです。
文部科学省の学習指導要領解説を読んでみると以下のように学習内容を規定しています。
教える内容は「①精神疾患の特徴と、②精神疾患のへの対処としており、このなかでは、うつ病、統合失調症、不安症、摂食障害の4疾患については具体名を挙げて理解されるよう指導すること」とされています。
このぐらい具体的に学校で学ぶ内容というのは文部科学省から指導されるのが日本の学校なのです。自由裁量が少ない反面、日本のどこに住んでいてもどの学校に行こうとも、ある一定の教育内容が保障されるという面があるわけです。
まだ始まっていないので、イメージを描いてみます。
私が、教師ならこんな授業を行うでしょう。
まずは1時間目と2時間目。2コマ利用して授業を行います。
今やパソコンが一人1台与えられていたり、電子黒板と言われるテレビの大きいのが各教室に置いてあったりする時代です。
まずは、動画を活用して精神疾患の具体的な症状について映像で見てもらいましょう。
「うつ病」、「統合失調症」、「不安症」、「摂食障害」の4本の動画です。NHKの動画ライブラリーが学校教育用にコンテンツを公開していたり、文部科学省が製作したりすると思います。それを活用すればいいわけです。
そして、生徒同士のグループで話し合いなんて言うのが一般的かもしれません。4つの症状の特徴から共通する傾向について話し合ってもらうというのはどうでしょう。
アルコール依存や薬物依存、ギャンブル依存など身近な依存症について話題提供なども行うのがこの時代、意義があるかもしれません。
そして、3時間目と4時間目。2コマ利用して後半の授業を行います。
病気の概要が理解できたら、後半は精神疾患の予防と回復について理解させなければいけません。
精神疾患の予防と回復には、調和のとれた生活を実践すること、早期に心身の不調に気付くこと、リラクゼーション等でストレスを緩和することが重要です。このことを教えることになります。
動画を活用してカウンセリングなどの相談の現場や治療について理解させたいですね。そして、グループの話し合いといきたいと思います。テーマは調和のとれた生活とはどのようなものかについて自分の考えを基に友達の意見を聞きながら思考を広げてくれたらと思います。最後に早期発見、早期治療によって回復可能性が高まることを確認して、精神疾患は差別や偏見の対象ではないことを伝えたいと思います。
以上で4時間が終わります。
精神疾患はごくごくありふれた病気でありながら、その発症のピークは10代後半から20代であることが一般には知られていません。身体疾患と同様に早期発見、早期治療が大事であり、一人ひとりが基本的な正しい知識を持つこと、誰でもかかる可能性があるということを理解すること、罹患した可能性に気づき、正しい対応すなわち医師の治療を受けたり相談機関を訪ねたりすることなどが回復にとって重要なことを私たち全ての者が知ることを国は求めていることが、今回の改訂からわかります。
私も臨床心理士であり、心の専門家として高校の現場で生徒たちにかかわる予定があります。高校の教科書に精神疾患の記述が載るということは私も臨床心理士として社会貢献として何ができるのかを問われているような感じがして今回のコラムを書きました。
私が大学を卒業してすぐに教師となって教壇に立ってから30年が過ぎ、発達障害や特別支援教育について講演をするようになって、10年以上が経ちました。特別支援教育とは、従来知的な遅れや目が不自由な子供たちなどを対象にしてきた障害児教育に加えて、「知的発達に遅れがないものの、学習や行動、社会生活面で困難を抱えている児童生徒」にもきちんと対応していこうと言う教育です。
これは、従来の障害児教育で論議されていた内容をはるかに超えて、発達障害児はもとより発達障害と診断されなくても認知機能に凹凸のある子供の教育についても対象としており、さらに子供だけでなく我々大人も含めたコミュニケーションや感情のコントロールといった、人間が社会で生きていくうえにおいてもっとも重要であり、基礎的な内容を徹底して論議しているからであるととらえています。
そのためには、児童生徒一人ひとりの教育的ニーズを把握して適切な教育的支援を行う必要があります。ここで、単に教育とせず、教育的支援としているのは、障害のある児童生徒については、教育機関が教育を行う際に、教育機関のみならず、福祉、医療、労働などのさまざまな関係機関との連携・協力が必要だからです。また、私への依頼例からもわかるように、現在、小・中学校さらに高等学校において通常の学級に在籍するLD(学習障害)、ADHD(注意欠陥多動性障害)、知的に遅れのない自閉症(高機能自閉症・アスペルガー障害)などの児童生徒に対する指導及び支援は、喫緊の課題となっており、これら児童生徒への支援の方法や指導原理や全ての幼児・児童生徒への指導は、私達大人を含めて全ての人間が学び、関わり合うための基礎といえるコミュニケーション力を考える上で必須の知識であることを色々な場で訴えています。
今までたくさんの子供たちや親、そして同僚の先生方と貴重な出会いをしてきました。また、指導主事として教育行政の立場からもたくさんの校長先生方と学校経営の話をしたり、一般市民の方からのクレームにも対応したりと、色々な視点で学校や社会を見つめてきたつもりです。ここ数年は毎年200回近くの公演を行い、発達障害や特別支援教育について沢山の方々にお話をしてきました。そして、満を持して2014年3月に広島市立特別支援学校を退任し、2014年4月に竹内発達支援コーポレーションを設立致しました。
今後は、講演、教育相談、発達障害者の就労支援、学校・施設・企業へのコンサルテーション、帰国子女支援、発達障害のセミナーなどを行っていく所存です。
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