2022/06/02

どんなに良い人だって、必ず1人には嫌われている!!!

「10人いれば、2人は気の合う人、7人はどちらでもない人、1人は気が合わない人」
『2:7:1の法則』、カール・ロジャーズという心理学者の提案した有名な法則です。

1.人間関係の「不都合な現実」

例えば、会社で課長が「あいさつ運動をしよう」「毎日、おはようございますと挨拶をしよう」と呼びかけたとします。

課長は、思い付きでこの提案をしたのではありません。自分の課の様子を真剣に分析して、提案しました。

みんな黙って下を向いて、黙々と仕事している。朝、会社に来ても挨拶もしない。自分の座席でパソコンとにらめっこ。困っている同僚がいても声もかけない。

気配り上手の課長には、ずっと気になっていました。

同じ会社の他の課と比べて、全然話をしたりあいさつを交わしたりしていないという気づきからの提案でした。

課で働く人はというと、実は同じ課の中に良き同僚を作りたいと思っていました。話をしたり仕事のことを相談し合ったりできる同僚を。そして、時には冗談を言い合ったりするような楽しい時間も過ごせるようになりたいと思っている人もたくさんいました。

課長としては、かなり慎重でなおかつ正確な観察からの提案でした。

課長は、特に課の人から嫌われているという人ではありません。むしろ、苦労人で絶えず周りに気を遣うような気配りの人でした。人望のある人でした。そういう意味では人気者です。

さあ、読者の皆様はどう思われますか?

課長の提案、「あいさつをしよう」は課のみんなに賛同されたでしょうか?

もちろん賛同はされたでしょう。でも、みんなからではあり得ません。

これが、「不都合な真実」です。

課の人数が10人としましょう。

2人は、こう言うでしょう。
「課長に大賛成。私もそう思っていました。明日からでもやりましょう。あいさつしましょう。」

7人は、何の反応もしません。うなずく人はいるかもしれません。でも、何にも考えずにうなずいているだけです。【課長が一生懸命だし、賛成という人もいるし、うなずいておこう。】と考えているだけです。

そして、課長は言うでしょう。
「みんな、賛成してくれてありがとう。明日からあいさつ運動始めましょう。」

みんな、賛成なんかしていません。そう思っているのは、課長だけ。独りよがりとしか言いようがありません。

賛成しているのは、たった2人なのです。

この真実を知らない課長は、「裸の王様」。

7人は、どちらでもいいのです。

必ずいるのが、あと一人。本当に必ずいるのですよ。
「そんなの無駄。課長一人でやればいいじゃん。会社は仕事するところであいさつなんか不要。仲良し会社で銭が儲かるか。」
こう思っている人が。

口には出しません。だっていい大人なんですから。

だから、年度が替わり人事が入れ替わり、課長がいなくなれば。

またまた、あいさつなんかしていません。

2.「13人の中の鎌倉殿」になってはいけない

日曜8時、さすが天下のNHK。
面白いですね。「鎌倉殿の13人」。
大泉洋(源頼朝)は、御家人たちを用が済んだら殺してしまいます。自分の地位を危うくさせる相手には容赦ありません。自分と考えが違う相手を消していきます。
大泉洋、演技うまいですね。時にニヒルに、時にコミカルに。したがって、ニヒルに用なしの部下を抹殺していく姿に迫力が出ます。

まるであの「仁義なき戦い」の菅原文太です。

13人いても、無条件で賛成してくれるような肯定的な人は今のところ1人しかいないのです。それが、(小栗旬)北条泰時でしょうね。もう一人は、小池栄子(北条政子)でしょうか。もっとも、北条政子は御家人ではありませんので、しいて言えば中村獅童(梶原景時)でしょうか。これで2人。あとの10人くらいはその時その時で変わるどちらでもない人なのです。この10人を抑え込むために、自分に必要のない者を容赦なく殺していったのが大泉洋(源頼朝)です。

しかし、13人もいれば1人くらい必ず何をしてもどんなことをしても自分のことを嫌ったり気が合わない人がいるという「不都合な真実」を大泉洋(源頼朝)は、受け入れられずに殺してしまったんいるのです。そこに、エネルギーを費やして殺してしまっている。これが、残念。

たった一人のために多くのエネルギーを注ぎ込むことは損失であり、そんなエネルギーがあるのなら別の対応にエネルギーを注ぎ込むべきだったのかもしれません。

大泉洋(源頼朝)の「プライド」や自分なりの「正義感」が、たった一人の反対者を許せずにむきになってしまったのかもしれません。自分の意向通りに納得してくれなければ、自分はリーダー失格のレッテルが張られてしまうと思っていたのかもしれません。頑張りすぎて、大切な自分の弟である、天才戦争請負人の菅田将暉(源義経)を殺してしまうなんて。

菅田将暉(源義経)が生きていたら、源頼朝の後世はもっと栄華に満ちたものになっていたかもしれません。

3.赤塚不二夫の「これでいいのだ」でいいのだ!

もう一度、法則を復唱します。

「10人いれば、2人は気の合う人、7人はどちらでもない人、1人は気が合わない人」
『2:7:1の法則』

皆さんも、全員に納得させなければいけないと思い、頑張った経験があると思います。
しかし、結果はどうでしたか?
結局、その一人の人は変わらなかったと思います。あなたの気が滅入っただけではなかったでしょうか。

変わらない人がいてもいいのです。十人いれば一人くらいは、あなたの意見に絶対反対するのです。それでいいのです。

こう割り切れば、全員に賛成してもらえなくても、気持ちは楽になります。

全員を賛成させるために、全員を納得させるために、自分のプライドをかけて、あらゆる知識を持ち出して、時間をかけて気が済むまで議論して、勝利することが目的となっていませんでしたか?

多くの場合、コミュニケーションではなく、あなたの一方的な演説になっていませんでしたか?コミュニケーションは、言葉のキャッチボールです。受け止められなければキャッチボールは成立しません。あなたが受け止めていないので、コミュニケーションは不可能だったのです。

このたった一人にとらわれすぎると、本来のあなたのしたかったことを失ってしまいます。

たった一人の反対者には、余計なことは言わず、黙って反応もせず、じっとしておくのが一番です。「言いたいだけ言えばいい。」「自分を叩きたいだけ叩けばいい。」とあきらめなければいけないのです。

相手が、「お前の好きにしろ。」
こう捨て台詞を言って、その場を去ってもらいましょう。
これでいいのです。
そして、頭の中で唱えましょう。

「これでいいのだ。」

西から登ったお日様が東に沈んでも、これでいいんです。
(終)

コラムニスト

公認心理師・臨床心理士・特別支援教育士スーパーバイザー
  竹内 吉和 

私が大学を卒業してすぐに教師となって教壇に立ってから30年が過ぎ、発達障害や特別支援教育について講演をするようになって、10年以上が経ちました。特別支援教育とは、従来知的な遅れや目が不自由な子供たちなどを対象にしてきた障害児教育に加えて、「知的発達に遅れがないものの、学習や行動、社会生活面で困難を抱えている児童生徒」にもきちんと対応していこうと言う教育です。
これは、従来の障害児教育で論議されていた内容をはるかに超えて、発達障害児はもとより発達障害と診断されなくても認知機能に凹凸のある子供の教育についても対象としており、さらに子供だけでなく我々大人も含めたコミュニケーションや感情のコントロールといった、人間が社会で生きていくうえにおいてもっとも重要であり、基礎的な内容を徹底して論議しているからであるととらえています。

そのためには、児童生徒一人ひとりの教育的ニーズを把握して適切な教育的支援を行う必要があります。ここで、単に教育とせず、教育的支援としているのは、障害のある児童生徒については、教育機関が教育を行う際に、教育機関のみならず、福祉、医療、労働などのさまざまな関係機関との連携・協力が必要だからです。また、私への依頼例からもわかるように、現在、小・中学校さらに高等学校において通常の学級に在籍するLD(学習障害)、ADHD(注意欠陥多動性障害)、知的に遅れのない自閉症(高機能自閉症・アスペルガー障害)などの児童生徒に対する指導及び支援は、喫緊の課題となっており、これら児童生徒への支援の方法や指導原理や全ての幼児・児童生徒への指導は、私達大人を含めて全ての人間が学び、関わり合うための基礎といえるコミュニケーション力を考える上で必須の知識であることを色々な場で訴えています。

今までたくさんの子供たちや親、そして同僚の先生方と貴重な出会いをしてきました。また、指導主事として教育行政の立場からもたくさんの校長先生方と学校経営の話をしたり、一般市民の方からのクレームにも対応したりと、色々な視点で学校や社会を見つめてきたつもりです。ここ数年は毎年200回近くの公演を行い、発達障害や特別支援教育について沢山の方々にお話をしてきました。そして、満を持して2014年3月に広島市立特別支援学校を退任し、2014年4月に竹内発達支援コーポレーションを設立致しました。
今後は、講演、教育相談、発達障害者の就労支援、学校・施設・企業へのコンサルテーション、帰国子女支援、発達障害のセミナーなどを行っていく所存です。

 関連記事

column/btn_column_page
トップ