地域の人々の医療や健康、暮らしに役立つサイトとして進化を続け、2022年に7年目を迎える当ホームページ「Family Dr.」。その生みの親であり、運営する㈱越前屋の創業者の土居貞宏さんは、自身も大病を経験し、同じように不安を抱える人に少しでもお役に立てればと思い考えたと語ります。
ご出身は広島ですか?
私が生まれたのは、両親が知人を頼って駆け落ちした先の栃木県の日光です。その後、祖父母との和解もあり広島に帰ってきたので、物心ついた時からは広島育ちです。
甲子園を夢見て当時は毎年のように出場していた広島県立広島商業高校に入学しましたが、道がそれてしまい(笑)、軟式野球部で野球を楽しんでいました。卒業後は高校の先輩が声をかけてくれた縁で自動車ディーラーに入社し、経理の仕事をしていました。
日光の幼少期から独立前までの写真
広告代理店を立ち上げた経緯は?
若い時から漠然とですが「40歳までには独立したい」と考えていました。内勤の仕事は自分には合わないと感じるのと同時に、将来独立するためにはこのままではまずいと思い知人の紹介で偶然広告の仕事につきました。特に広告の仕事がしたかったわけではなく何か独立するために色々な経験をしてみようと思い入った業界が偶然決め手になった感じです。
そうした思いからこの業界で会社を設立しカタカナの名前が多い業界でしたので、一度聞いたら忘れられない「屋号」のような名前を付けたいと、〝前を越していく〟という思いを込めて「越前屋」と名付けました。よくお客様から「お主もワルよのぉ、の悪代官ですか」と言われますが、「違います。正義の味方(笑)大岡越前の方ですよ」と答えると、覚えてもらえます 。(笑)
屋号に良く合う㈱越前屋のロゴマーク
仕事は順調でしたか?
バブルがはじけたどん底の時期からのスタートでしたから、「最初はうまくいかなくても、これ以上落ちるところはない、後は上がるだけだ」と自分自身を鼓舞しながら、しかし自分はともかく、社員とその家族の生活を守らないといけないので、顧客を探してどこへでも行き、頭を下げて回る日々でした。
大変なこともいっぱいありましたが幸いなことに多くの人の縁にも助けられ、徐々に軌道に乗り、そんな苦難を乗り越えられた一番の財産は、人脈だと今でも思っています。そんな中でどうなるかもわからない私に何も言わずについてきてくれた専務(現、岩本社長)はかけがえのない存在でした。「結果よければ全てよし」過ぎてしまえば苦労も笑い話です。
それからちょうど10年くらい経った頃、クリニックの開業のお手伝いをする機会が増え、今ではホームページや印刷物、看板などのデザイン・施工を一式で担う仕事させて頂いていますが、こうした仕事のご縁が「Family Dr.」に繋がった一つの理由です。
専務(現、岩本社長)と共に
二度のがんを経験したと聞きました。
クリニックとのお付き合いで、導入したばかりのPET検診を無料で体験させてもらえることになり、せっかくそういった検診を知る機会を頂いたので、以来、毎年自主的にPET検診を受診していました。
ところが、ある年、突然肺に異変が見つかり詳しい再検査をした結果、がんであることを告げられた時は半ば信じられず、自分のことなのにドラマのワンシーンを見ているような思いでしたね。
結局、左肺の下半分を切除する手術を受け、その後5年間、経過観察でも転移などが見られず安心していましたが、今度は別で毎年受けていた前立腺がんの血液検査で異常が見られました。
幸い初期であったため、ダヴィンチ(手術支援ロボット)による内視鏡手術で切除することができました。
背中に残る大きな手術痕
考え方に変化がありましたか?
最初にがんの宣告を受けた時にまず考えたのは、会社のことでした。自分に万一のことがあっても社員が困らないように、すぐにクライアントなどのデータをまとめ、別会社でやっていた事業はその時の責任者に形見のつもりで譲りました。そういう意味では、交通事故など不慮の事故で突然命を落とすよりは、準備期間がある方が色々なことを考えたり整理できたりする時間ある分、まだよい方なのかとも思いました。
もともと思いついたことはすぐに行動するタイプでしたので、病後は何事も先延ばしにせず、その日のうちにやりたいことはやっておく姿勢に拍車がかかり、努力や我慢はしないをモットーにここまできました。(笑)
周りからはどう見えても、自分が「やるべきことをやっているだけ」と思えば、それは無理な努力や我慢ではなくなると考えています。
「Family Dr.」の立ち上げは、病気の経験によるものですか?
とにかく忙しい毎日を送っていたのに、突然のがん宣告によって入院中は何も仕事ができません。ただ考える時間はたくさんあったので、ベッドの上でふと、こうして病気になって不安な時に、いい病院の情報が探せる検索サイトがあったら喜ばれるのではないかと思いつきました。
すぐに色々調べてみると、当時の病院の検索サイトは、最低限の情報だけが閲覧できるようなものしかありませんでした。弊社は仕事でクリニックの先生にお会いする機会が多かったため、実際に足を運んで見聞きした情報や特徴を伝える、「地域に根ざした医療情報サイト」は必ず必要とされると考え、退院後、どうしてもこのサイトを作りたくてスタッフの一人(現、常務)と試行錯誤してやっとここまできました。
「Family Dr.」への思いをお聞かせください。
開設から7年が経過し、おかげさまでアクセス数も伸びてきて、多くの方に役立てていただいていると日々感じております。クリニックの検索、夜間・休日当番医の検索などと合わせて、多方面の専門家の方々のコラムも充実してきています。近々、症例から検索できるシステムも構築予定です。自身も体験しましたが、体に不調が生じた時は、どこが悪いのか、何科を受診すればいいのかと心配になります。そんな時、こんな症状の時に受診できる専門医に紐付けされている情報ページがあると、安心できると思います。
私自身、肺がんが見つかる3年前に煙草をやめていましたが、そのきっかけになったのは親友の肺がんでした。彼が、肺を患った後も煙草を吸いたがるので、「俺もやめるからお前もやめろ」と一緒にやめました。残念なことに友人は亡くなってしまいましたが、私自身も一度は終わったと思っていた人生なので生かされている分少しでも皆さんのお役に立てる事をしようと、だからこそ「Family Dr.」を適正な医療とのマッチングに役立つツールに育て、彼や彼の周囲の人々のような思いをする人を減らすことは、私の使命の一つだと考えています。ドクターではないので直接助けることはできませんが、同じ思いを経験して今も元気で活躍されている方達のお話を掲載することで一人でも多くの人に勇気と前向きな気持ちを持っていただくために。(まさか、自分が載るとは思っていませんでしたが(笑))「病は気から」昔の人は良い事いいます。私もそんな人の話聞いて頑張ろうと思って今日があります。
「Family Dr.」は進化していくのですね。
「Family Dr.」は、様々な可能性を持っています。医療や健康、福祉のことなど、困っている人をワンストップで手助けできるポータルサイトにしていきたいので、そのためにも誰もが知っている媒体に育てていく必要があります。
さらに個人的には、例えば困っているシングルマザーとおむつやミルクの企業などを結びつけるような、弱者と支援の架け橋にしていきたいという思いがあります。言うのは簡単でも、実現するこっちは大変なんだと社員たちに怒られそうですが(笑)。何事もやってみないとわかりません。
「弱者を助けられる人になれ」というのは、父の教えです。私がヤンチャをしてきたのは、父譲りですが(笑)、その父から「たとえ相手が自分より強くても絶対に逃げるな」「自分より弱い者はいじめるな、弱い者は助けろ」「決して見て見ぬふりはするな」と言われて育ちました。こんなご時世なので、妻からは「いい年なんだからいい加減にしておいて」とたしなめられますが(笑)。
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1959年生まれ、広島育ち。
㈱越前屋 相談役
広島県立広島商業高等学校を卒業後、某自動車ディーラー経理部勤務などを経て、1999年㈱越前屋を創業。広告代理店として、印刷物のほか、ホームページ制作や、店舗デザイン施工などを手掛ける。
2016年に「Family Dr.」を発案し開設。