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天冨良 天甲 店主 樋口 憲一さん

お客様が喜んでくれることを何よりの喜びと励みに

広島の天ぷら専門店といえば、この店といわれる「天冨良 天甲」。店主の樋口さんが、広島に本格江戸前天ぷらの味を届けたいと1988年に店を開いて以来、その暖簾と味を守り、ミシュランの星も取得。古希を迎える今もお客様の前に立ち、魂を込めた天ぷらを揚げ続ける樋口さんの思いを聞きました。

ご出身は広島ですか?

はい。安佐南区の農家に生まれ、3歳まで広島で育ちました。その後は両親の仕事で東京に転居し、ずっと東京育ち。中学、高校時代はフォークソング全盛期で、アルバイト代でギターを買って文化祭などで弾いていました。今でもカラオケに行くと、井上陽水、吉田拓郎、矢沢永吉などを歌いますよ。

写真右が樋口さん

料理人を志したきっかけは?

高校卒業後は、一度アルミニウム製品のメーカーに就職。工場で働きながら上司の工場長たちの仕事が自分の目指したい道ではないのではないかという思いが強くなり、年末まで務めて退職。それから勉強をして、翌春に栄養士の資格を取れる短期大学に入り直しました。

入学後には栄養士ではなく、調理師の道を考えるように。どうせなら日本一の店で学ぼうと決めて、卒業後は「天一」に就職して銀座本店で一から学びました。仕入れ、仕込み、調理、接客など、日本一の天ぷら専門店である天一で経験を積めたことは大きかったですね。もちろん当時の料理の世界は厳しかったですし、週に3日は閉店後に夜の11時まで掃除や片付けをして翌朝6時には築地で買い出しという生活でしたが、志を同じくする仲間たちと成長を競い合いつつ、飲んだり語ったりする日々は楽しく、充実していました。

妻に出会ったのも東京の修行時代です。

それから広島で自分の店を持たれたのですね。

本家の長男で、いずれ墓守を受け継ぐ立場でした。親族の不幸がある度に、帰郷して店を休むと多くの人に迷惑をかけることになります。それなら広島に帰って、自分の店を持つ方が融通がきくと考えました。

広島で商売をするためのネットワークは全く持っていなかったので、当時の天一広島そごう店の店長に相談して、信頼できる仕入先を紹介してもらいました。新しいビルへ入居する縁もいただき、1988年に開いた店が中町店です。

当時はバブル景気が膨れ上がっている時代で不動産価格も上昇。知り合いも常連客もほとんどいない土地で500万円の自己資金と2,500万円の借入金を投じたことに不安もありましたが、好景気のおかげで比較的早く軌道に乗せることができました。当初は「こんなに儲かるのか」と驚きもしましたが、その時に調子に乗らず堅実に蓄えていたため、その後のバブル崩壊やリーマンショックの荒波も乗り越えて続けて来られたのだと思います。長く商いをしていると、いい時も悪い時もあることを実感します。

1号店(現:天甲 中町店)

その後に堀川町に開いた店を「本店」としたのはなぜですか?

約20年店を続けて自身も50代になった時に、自分が仕事に全力投球できる残り時間を考えて、ずっと温めていた理想の店を思い切って形にすることにしました。

自分が一人で対応できる6〜8人程度が入れる規模で、お客様と向き合えるカウンター席のみ。座っているお客様の目線と、調理場に立つ自分の目線が同じ高さになる造り。カウンターは檜の一枚板。灯りは落ち着く間接照明…。そんなこだわりを2010年に実現し、創業者である自分が迎える店でもあるので、こちらを本店としました。

きちんと仕込みをしてお迎えするために昼、夜ともコースの予約制。お客様の召し上がるペースを見ながら一品一品揚げてお出しします。

ミシュランガイドに掲載されたことで変化はありましたか?

ある日来店された方が「ミシュランガイド広島を作るに際して、調査結果次第で掲載してもよろしいですか」と許可確認に来られ、その後いつ調査員が来たのかもわからないまま忘れたころに『ミシュランガイド広島2013特別版』で二つ星を獲得したことがわかりました。

それからしばらくは電話が鳴り止まなくて、反響の大きさに驚きました。普段は夫婦2人でやっていて電話にも出られないほどだったので、当時大学生だった長男にアルバイトで入ってもらいました。

海外からのお客様もその頃からどんどん増えましたが、コロナ禍でぴたりと止まり、今また増えてきているところです。本当に長くやっているといろいろあるものです。

天ぷらへのこだわりを聞かせてください。

天ぷらは素材が第一。いい素材をいい油と衣でさっと揚げて、旨味と香りと食感を閉じ込める料理です。

魚介類や野菜の鮮度ももちろんですが、油の新しさも大切。当店では、コーンサラダ油と太白胡麻油をブレンドして揚げ油にしており、お客様のグループごとに使った油は都度処分して新しい油に入れ替えます。近年の物価高騰で、油もそれぞれ2倍近くに値上がりしましたが、本当に美味しい天ぷらを召し上がっていただくためにはそこは譲れません。

きれいないい油は揚げる力があるので、短時間で素材の旨味だけを残して早く火が通ります。胃もたれもしませんよ。

健康のために心がけていることがあれば教えてください。

一つは食べすぎないことです。昔は暴飲暴食をすることもありましたが、歳を重ねて自分の体にあったリズムや量も把握できてきたので、規則正しいサイクルで適度な量を食べる生活を心がけています。飲みすぎない、の方はなかなかできないですけどね(笑)。

あとは、趣味のゴルフ。ゴルフをするために仕事をしているようなものです。夫婦で安佐ゴルフクラブの会員になっているので、週に一回は妻とゴルフを楽しんでいます。

けれども何よりの元気の源になっているのは、やっぱり仕事。お客様といろいろな話をしたり、「おいしかった」と喜んでくださる顔を見たりすることが、毎日の励みになっています。

最後に今後の展望を聞かせてください

この店を守ることです。長男に仕事もお金のことも全て見せた上で、「やってみないか」と伝えたところ、仕事を引き継ぐ決意をしてくれました。親子3人で店に立ちながら、少しずつ任せることを増やしているところです。若者の仕事ぶりを見るとまだ余裕がないな、と感じることもありますが、それは自分がこの歳になったからわかること。自分が伝えられることはしっかりと伝えて、見せて、長男も自分が独立した時と同じ33歳になったら、若いやり方に任せていこうと考えています。

その時に早く完全に任せてゆっくりするか、できるところまでは厨房に立ち続けるか、身体と相談しながら、また自分らしい生き方を考えてみます。

本店に立つ樋口憲一さん、妻の涼子さん、長男の貴大さん。
せっかくの機会なので普段は口にすることがないであろう「憲一さんはどんな方ですか?」という質問をお二人に。
「優しいですよ。お客様と会話している様子を見ていて、人当たりも良く、頭の回転も早いな、と感心します」と涼子さん。
「子どもの頃から『よう働くな』と思いながら見てきました。両親がここで働いて自分たちを育ててくれた『天甲』を守っていきたいと思います」と貴大さん。

樋口 憲一(ひぐち けんいち)

樋口 憲一(ひぐち けんいち)

広島市生まれ、東京都育ち。
大学で栄養学を学んだ後、銀座天一で13年間修行。
1988年 広島市中区中町に「天冨良 天甲」(現・中町店)を開店
2010年 広島市中区堀川町に「天冨良 天甲 本店」を開店
『ミシュランガイド広島2013特別版』『ミシュランガイド広島・愛媛 2018 特別版』にて星を取得。

【公式サイト】
天冨良 天甲

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