近年、再生医療という言葉を聞く機会が増えてきました。SF映画では失われた手足を再生する、人工臓器を作成して移植するなど、夢のある未来の治療が描かれることがあります。
そのような技術が現実的になっているわけではありませんが、iPS細胞に代表される再生医療の成果が着実に積み重ねられています。中には私たちが受けられる治療として、身近なものになっている方法もあります。
整形外科領域での再生医療に、ひざ関節の軟骨再生があります。そしてその治療法は広島大学で研究開発された方法です。
ここでは、ひざ関節の再生医療について解説します。
再生医療というのは、ケガや病気で失った体の機能を、細胞を積極的に利用して取り戻そうとする方法です。自分の体から取り出した細胞を培養して増やし、また体内に戻す方法などがあります。
再生医療というと、なにかすごそうだけど具体的なところがよく分からないもの、というイメージがあるのではないでしょうか?確かにずいぶん前から話題になっているものの、身の回りに再生医療を受けた、という人はほとんどいませんよね。まだまだ私たちには手の届かない、研究段階なのだろうと思っている方も多いと思います。
再生医療を一般治療として普及させるにはいくつか課題があり、そのうちの一つが倫理的な問題です。細胞を使用するためクローン人間ができてしまうのでは、といった問題です。その問題をクリアするため、日本政府は1999年に「ミレニアムプロジェクト」として、再生医療を含む研究開発を国家戦略に位置づけました。それ以降さまざまな法整備が進み、再生医療は大きく動き出しています。
現在では数多くの臨床試験が実際に行われ、結果が積み重ねられています。結果が良好なものに関しては保険適用となり(1割~3割負担などで治療を受けることができる)、制度的にはどの医療機関でも受けることのできる治療法が出始めています。
これまでに筋の細胞を培養して心臓の筋肉に移植する方法(ヒト骨格筋由来細胞シート)、皮膚の細胞を培養して重症のやけどへ移植する方法(ヒト表皮由来細胞シート)などが「再生医療等製品」として承認されています。そして、この記事で紹介するひざ関節の再生医療「自家培養軟骨細胞移植」は2013年に医療保険に収載されています。
整形外科の領域でも再生医療に関する研究が活発に行われています。中でも多くの研究の対象となっているのが、関節の軟骨です。軟骨は関節がスムーズに動くため、なめらかな形でぴったりと合う形でいなくてはなりません。また、動作の負担から骨を守るため、衝撃を吸収する役割があります。
体を動かすために重要な役割を果たす軟骨ですが、実は損傷に非常に弱い組織であることが分かっています。軟骨の成分は多くが水分で占められているため、内部には血管や神経が存在しません。そのため自ら修復する力がほぼなく、骨のように自然に治癒することがないのです。
数ある関節の中でも、軟骨が損傷されやすいのが「ひざ」です。ひざの軟骨は体重を支え続けなければならない上、ひねる力がかかりやすいこと、曲げ伸ばしの範囲が大きいことなどからストレスがかかりやすい構造となっています。
ひざの軟骨を損傷しやすいのが、「スポーツ障害」です。あらゆるスポーツはひざに負担をかけるものといえますが、特にジャンプ動作を伴うバスケットボールやバレーボール、接触を伴うラグビーや格闘技などではひざの障害が起きやすいのです。代表的なけがに前十字靱帯損傷や半月板損傷がありますが、それらのけがに軟骨損傷を伴うケースが少なくありません。
スポーツをやらずとも、長い年月体重を支えるひざの軟骨は年齢を重ねると少しずつ機能が落ちていきます。水分が失われ衝撃を吸収できなくなった関節は、軟骨の下にある骨に負担がかかるようになり、少しずつ骨の変形を起こします。こうしてひざの痛みや変形を起こすのが、変形性関節症です。ひざの変形性関節症を有する患者さんは潜在的な方も含めると国内に約3000万人いると言われ、非常に頻度の高い障害です。
スポーツ障害による軟骨損傷に対しては、従来から軟骨に穴をあけて骨から出血をさせることで修復を促す方法や、体の別のところから軟骨と骨をとってきて移植する方法などが行われています。ところが、骨から出血させる方法では本来のなめらかな軟骨ができづらいこと、体の別のところからとってくる方法では、その採取する場所の障害がおこること、などの問題点があります。
変形性関節症ではひざの軟骨機能を取り戻す方法はなく、症状や変形が進行すればひざの軟骨と骨を切除して金属に取り替える、「人工関節」が行われます。痛みがとれて変形が改善する有効な治療方法ですが、合併症の問題や、手術を受けたくない人は痛みをがまんするしかないという問題があります。
ひざの障害や痛みで悩む患者さんの数が非常に多いため、ひざの軟骨治療には多くの労力と年月が費やされてきました。その中で発展してきたのが、ひざ関節の再生医療です。
ひざ関節の軟骨損傷や軟骨欠損に対して、自分の軟骨細胞を採取・培養して増やしたものを移植して治療を行うのが「自家培養軟骨細胞移植」であり、商品名を「ジャック®︎」といいます。広島大学の越智光夫現学長が中心となり開発した方法で、日本発の再生医療として初めて保険適用になったものです(越智先生は研究成果が評価され、2015年には紫綬褒章を受章しています)。
軟骨が悪い部分に軟骨細胞を培養して移植する、というシンプルにも聞こえる方法であり1994年にはスウェーデンでその原案が生まれていました。ところが、移植した軟骨細胞を定着させるのが非常に難しく、治療成績が一定しませんでした。そこで越智先生は世界に先駆けて軟骨細胞をゲル状にして移植することを考案し、2001年に報告したのです。
こうして誕生した自家培養軟骨細胞移植は研究や臨床試験が重ねられ、その成績が良好であったことから2013年に保険適用となりました。現在では施設基準や医師の基準を満たした全国の施設で受けることのできる治療となっています。施設基準には年間100件以上のひざ関節手術を行っている、MRIやCTを有するなど、医師基準には専門の研修を終了している整形外科専門医で、ひざ関節手術100件以上の経験を有するなどが定められています。
医師の診察、画像検査により次の診断がされた場合に治療を受けることができます。
治療の適応と判断された場合、アレルギー検査や血液検査などを行った後に関節鏡検査を行います。関節鏡というのはひざに1cm程度の小さな皮膚切開をおいて、そこから4mm程度のカメラを中に挿入して観察する検査です。軟骨欠損のサイズが4cm2以上の場合にこの治療法の適応となります。
適応であった場合、関節の中でも害のない場所から少量(400mg)の軟骨を採取します。採取された軟骨は専門の施設へ運搬され、後日(28日後)培養して増やされ、ゲル状となった自分の軟骨が戻ってきます。それを軟骨欠損部に移植する手術を受ける、という流れです。
認定施設は全国で増加しており、多くのスポーツ障害などで悩む患者さんが治療を受けています。実施可能な施設については各病院ホームページや、株式会社ジャパン・ティッシュ・エンジニアリング(J-TEC)ホームページ等をご参照ください。
ひざの軟骨に悩むのは何もスポーツをする人だけではありません。年齢とともに進行する軟骨の「へり」は誰にでも起こる現象であり、徐々に変形性関節症になっていきます。変形性関節症には自家軟骨細胞移植でも対応することはできず、現在保険適用となっている再生医療はありません。
だからといって打つ手がない、というわけではありません。変形性関節症に対する新しい治療法として、多血小板血漿(PRP: Platelet Rich Plasma)が注目されています。PRPは自分の血液から抽出され、成長因子というからだの修復や再生を促す成分を多く含んでいます。もともとは皮膚科や歯科で盛んに行われてきた治療法ですが、近年では現在楽天イーグルスに所属する田中将大投手が、ヤンキース時代に肘の靱帯損傷でPRP治療を受け、話題となりました。
PRPも自らの細胞(血小板も細胞の一つです)を利用する、再生医療の一つです。PRPは自分の血液を遠心して分離することのできる液体成分です。通常の採血と同じようにして血液を採取し、分離したPRPをひざ関節に注射します。全身麻酔や手術を必要とせず、患者さん側はそれほど大がかりな準備の必要がないというメリットがあります。
PRPをひざ関節に注射すると、関節内で組織を修復する効果、また炎症を抑える効果があると推定されています。軟骨を元通りに再生するというよりは、自分の細胞や成長因子がもつさまざまな効果を利用して、症状を和らげる治療ということになります。
PRP治療を実施する施設は遠心操作を清潔に行うための施設整備や、厚生労働省の認可が必要など入念な準備をすることが法律で定められています。医療機関としては大変ですが、患者さんとしては安心材料の一つになることと思います。
PRPをさらに遠心分離して、より成分を選択凝縮したAPS(Autologous Protein Solution)療法も行われています。APSは次世代PRPとも呼ばれ、その効果が期待されています。PRP/APSとも保険適用ではないため自由診療という扱いであり、治療を受けるのに必要な費用は医療機関によってさまざまです。
ひざの軟骨障害に対する再生医療、ジャック®︎、PRP/APSについて紹介しました。治療の対象となるスポーツ障害、変形性関節症は私たちが元気に生活し、長生きしていく上で付き物ともいえる症状です。
関節の治療には再生医療以外にも運動療法や薬物療法などさまざまな治療があります。痛みや違和感にお悩みの方は、最寄りの医療機関で整形外科医に相談しましょう。
患者さんやご家族が病状や治療について十分に理解し、医療職と協力しながら本人にとって最善の治療を選択していくこの時代。
医師も積極的に正しい情報発信をするべきと考え、医療ライターとして活動しています。
「よく分からないけど、お医者さんの言うことだから聞いておけば安心。」
「医者の言うことは、難しくて分かんね。」
そんな思いを抱えながら治療を受けることも多いでしょう。
しかし医療に絶対はありません。
どのような治療結果になったとしても、そのプロセスや治療内容を理解することで次に進むことができます。
医療の進歩はめざましく、施設によって方針が異なる場合もあります。
記事を参考にして、主治医とよく相談し後悔のない治療を受けてほしいと願っています。
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