原爆で焼け野原になった広島で、戦後の復興と共に街を活気づけてきた看板やネオンサインなどの屋外広告。その事業者を取りまとめる組織として1956年に発足したのが、現在の広島広告美術協同組合の前身となる広島看板工業組合でした。内田賢司さんは父親から、広島の経済振興を支えてきた屋外広告業と共に、組合の仕事も継承。長年に渡り社会と事業者の橋渡しを担ってきました。技術や安全性、景観への配慮など、時代の変化に寄り添ってきた内田さんに、屋外広告が担う地域との関わりについて聞きました。
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